岐阜県瑞浪市整体

Tel:0572-67-3381  定休日 日曜日開院 9:00~最終来院 19:00

プロフィール

 

◆略歴

江奈整体 代表 林哲也
1971年2月25日生まれ 亥年
血液型 A型
真愈整体師 真愈整体の会 東日本支部 支部長
真愈整体学院指導員 東日本支部支部長
真正流整体術師会 整体術師範

平成元年 高校卒業後、 株トーエネック(旧 東海電気工事)に就職
平成4年 退職後にNTT関連工事に転職 その後、電話工事業で独立開業 並行して整体を学び整体師としても活動を始める。
平成10年 真正流整体術師 師範の認定を頂き 電話工事業を後人に任せ、整体業に専従。
平成19年 真愈整体の会 東日本支部長を拝命 

 

プロフィールを兼ねて今までの生い立ちを~

平成元年、高校を卒業して社会人となった私は、 その頃から腰痛、頭痛に悩まされ、時が経てば経つほど痛みの箇所が増え、痛み、痺れ感覚麻痺の症状は酷くなり痛みの総合デパートとなっていきました。

 

その頃、すでに父は整体師でした。 そう、私は二代目整体師なのです。
父に整体を受けると、確かに楽にはなっていました。
今思えば自分自身が痛みの製造機だったのを気づかないまま、 目先の痛みをなんとかしてほしい一身で、 父や真正会の会長に整体を受け、それでも足りないと、 あっちの病院こっちの整体院、そこの代替医療と巡りました。
今までにもう、数え切れないほどの治療家に関わってきました。患者として。

 

「何でこんなに次から次へと痛いんだろう?」 なんで?の疑問は、私をかり立てました。
そしていつの間にか整体(人体)に興味が沸き、 自分自身の体や、家族、整体会のメンバー、友人が私の実験台になっていったのです。
父は、整体の基本を私に叩き込みました。
手取り足取り教えて頂いた訳ではなく、 常に技を盗むという事が多かったと思います。 どうしても分からない事だけの質問は答えてくれましたが、 「自分で考えろ」が多かったでしょうか。 しかし親子、後で気づけば、ちゃんと見ていてくれました、木の上から。

 

整体師として活動は始めたものの、 その時はサラリーマンでありながら職人の電気工事業から、 電話工事に、更に独立経営にむけて躍進中だったため、 昼は現場に出ながらにして経営人、夜や休日は出張整体師でした。 サラリーマンの時は後輩の相談によく乗り、おこがましいのですが、 信頼できる先輩だったのですが、いざ経営に変ると同時に利益、つまり金、金、金に代わり、 人を物扱いし、最低の経営陣になってしまっていたのです。

 

そんな時、私が信頼していた親会社の上司が、
「哲、人は物じゃないぞ、人を使うとか使われるとか言うな!」
その時に「はっ」と気づき大事な事を思い出したのです。 そうです、人と人とは関わっていくのですね。
それからしばらく月日が流れ、いつしか整体会の会長に 「技を極めろ」っと言われました。
それは二束のわらじを履いていた私の最終警告のようなもので、 どちらかに決めろということでした。
以前は「お前は若いから見た目で判断される、 40歳くらいから開業しろ」っと言っていたのに・・・。

 

正直、迷いに迷いました。このまま整体を離れた方が安定していると思ったからです。
しかし、その頃にはあの強烈な痛みは消え、何をしたのかといえば、 父や、会長の脊椎矯正ですべて痛みが取れていたのかと思っていました。
ならば、あれだけ痛みの総合デパートだった私が、 どんどん良くなって来ているのだから、辛い人に伝えていこうと思い、 技を極めるため、父(甘え)から離れ、会長直々の指導に変っていきました。
通信業界を離れ、整体師一本で、 父と二人で同じ整体院で施術を始めてから何回目の壁だったのだろう...。
つまり、父との信頼関係はあるものの、私とはない。
出張先ではとても思えない現実、 私は父の手元、おでっちでしか見てくれていなかったのです。
出張先では「先生」と呼ばれ、江奈整体では未熟者。これは辛かった。
その頃に診えていた方は年配ばかり、 いや、年配が嫌という訳ではありませんが、 一ヶ月をかけて同じ方が入れ替わるだけ。 こんな整体をしたかったのではないと思い続け、後悔ばかりしていました。

 

◆ 一代目の倍の結果をだしてやっと普通
ここで引いたら自分の負け、辞める事はいつでも出来るなら、やれるとこまでやってやる。
そう歯をくいしばり、無我夢中で一生懸命だった。常に技の向上に明け暮れていました。
それからというもの、父でなくては嫌だという方もいましたが、信頼も得だし、 新しい方も増えていつしか全ての方に「先生」と呼ばれるようになっていきました。

 

◆ 会長の一言
以前、所属していた名誉会長でもある、岐阜県関市の山中英一会長ですが、 口の悪い会長でした、でも、その言葉の裏返しにどれだけの優しさが詰まっていたのかを、 どれだけの人が分かっていただろう・・・。
「おまはん、たーけか」あなたはバカですかという方言でしたが、お客さんに、 この言葉をキャッチフレーズにしているぐらいの口の悪い人でしたが、
ある時の会合でいきなり 「あのな、腰の痛いやつはな、包丁もって追いかけてみろ、治ってまうで、 それからな、肩の上がらんやつはな、治安の悪い所に連れて行ってな、 ピストルむけられて「手を上げろ」って言われてみろ、すっと上がるで。」
いきなりの発言に、「このおっさん、昼間っから酔っぱらっとるんかいな」っと、 怒りをぶつけたことがあります。後になり、その真髄を知らぬがままに・・・。
会長とは、整体に対してお互いに妥協はしませんでした、 整体に関しては常に真摯でありながらも周りの目も気にせず、激論をしていました。
悔しかったのは、いつも最後は経験の差でまとめられてしまった事です。
整体会では犬猿の仲でしたが、整体を離れると、 二人で飲みに行ったり、二人で旅行に行ったり・・・ もう一人の父のような存在でした。
しかし会長は、この世を去っていきました。 会長の、会長との整体論は、今になり全てつながって来る。
実は直接言わなかったものの、分かっていたのである。 会長のエピソードは語りつくせないほどあるが、これは私の宝として取って置こうと思う。

 

◆ 先生と呼ばれるようになって
勉強をやめていました。技術の向上も止め、目先の患者に日々追われ、 先生と呼ばれ、技の過信(テング)になっていたのです。 どんな痛みも、病気も自分の技で何でも治る。そう思い込んでいました。 流行る治療家だったのでしょう。 そこで満足すれば、それはそれでよかったのかもしれませんが・・・。

 

■ 固定客は作らない
「治ったらさっさとここから離れて行きなさい」とその頃は言っていました。
しかし現実は違いました。 それでも、一回で痛みが取れる人、数回で取れる人、 痛みが取れない(治らん)人、「治らない」と言いながら来る人、 この差はなんだろうと疑問に感じるようになってきました。
「そうか、どれだけ脊椎矯正しても、 不養生してるんだからその人の生活、性格そのものを根本から変えなくては!」 それからまた、学びは始まりました。
本を手当たりしだい読んだ。行ける範囲でセミナー、 講習などに足を運びましたが、決まってオチは講師の自慢大会か、金儲けのしかたでした。 もう、うんざり。
スパイのようにあっちこっちと足を運んでも、やっぱり手技になってしまう・・・。

 

◆ ホリスティック医学協会に出逢い
はっきり覚えていませんが、確か新聞か広告なのか、 生活習慣病予防士、指導士という資格があり後日、希望していた案内が届き、 目を通すと、まさに「これだ!」と思い予防士の資格取得のため勉強を始めました。
テキストはしたかったことそのままでした。 そしてホリ協のコンセプトは私の考えとリンクする部分も多かったですし、 教わる事が多く、まさに新鮮そのものでした。
無事、予防士の資格を取得し、更に指導士を目指し課題試験も通過して、 指導士のためのスクーリングのため大阪に行きました。

 

◆ 全てはここから始まる
いざ大阪にスクーリングという時に、 かかった事のないインフルエンザになってしまったのです。 なんというタイミングの悪さ、それでも、行かなくては今までの事が水の泡になってしまう。 そう思い、ふらふらのまま大阪に向かったのです。

 

◆ 衝撃の出逢い なんとか大阪に行き、会場に着いた時、 入り口に立っていたのが現在の師匠である大阪、健康塾の岡田俊一先生でした。
先生のスクーリングが始まってから、進めば進むほど、何か今までに感じたことのない、 インフルエンザなど吹っ飛んでいくようなまさに激震。 こみ上げて来る何か。今まで出会った事のない人物でありました。
自分の治療の自慢を一切しない、人の話を聞き、整体のスタイルは技は違えど似ていて、 私の理想像のような人でした。 岐阜に帰り、インフルエンザも治って、いざ岡田先生にメールを送ります。
ふられました、最初。 でも、先生のホームページを隅から隅まで読めば読むほど、メールを送り続けていたのです。 いわば、遠距離ストーカーです。
それからというもの、私が送った質問メールに毎回、 先生は直接な師匠ではないのにも関わらず丁寧なアドバイスをくれたのです。 そして、何回か個人的に直接お会いし、ありがたい指導をしていただいたのです。
岡田先生は野口晴哉氏を天才と言った。私は岡田氏を天才であり努力家で、整体の神様だと思う。

 

◆ 整骨師から整体師へ
確かに、駆け出しとか、未熟者とか言えない立場になりました。
治療家と同時に、指導者としての立場にもなっています。
謙虚な姿勢は忘れません、痛みを知っている、 常に身近な整体師であり続けていきたいと思いますが、もう過信はしません。 学びました、これからも学び続けます。
整体師として、いや、人として大事なことに気づきました。
人の生活、性格を変えようと始めた勉強が、いつしか自分が変り、
なにもしていないのに周りが変っていく。 人は変えられないのですね、自分が変らなければ。
そして、自分を取り巻く一切が自分の鏡なのですね。

 

◆ 真愈整体の会東日本支部 支部長を任命され
以前、所属していた真正流整体術師会は、過剰営利から離れていました。
しかし、技術も大切だけど、技術ではない・・・、また営利から一番遠い会・・・。
その時、岡田先生から新しく会を作るからと言われ、そのコンセプトは願ったり叶ったりでした。
しかし、岡田先生はこう言ってくれます。「師匠とか弟子とかではなく、仲間だと思っています。」
感極まるほどの嬉しい思いと同時に、重みを感じています。先生の仲間ということは・・・。
前に進むのみ、今までの人生に後悔なし。今までの経験なくして今の私はないと確信しております。
身体のみの視点から、地域先駆けて「こころ」を取り入れてきました。
「こころ」も「からだ」も、一人でも多く健やかでありますよう、これからも精一杯させて頂きたいと思います。

 

◆ 追伸
上記のプロフィールは今から10年前以上前に記載したと思いますが、
あれから月日が流れ、整体業界も「こころ」とか「癒し」という言葉を普通に使える様になりました。

 

まだ地方では敷居が高かったり、受け入れられない所も多々ありますが、
私は先駆けてこの地域から「心と体」また「その人をまるごとホリスティックな視点で」と発信し、また実践してきました。
今でもこの地域はまだ根強く残っていますが、
当時は「痛みの原因は体の歪み」という整体院が主流の中で、
今までとは違う視点,コンセプトの当院はかなりのバッシングを受けました。

 

今こうして当院が続けてこれたのも、
少しずつ理解されクチコミで広がっていったご来院者の皆さんのおかげだと感謝しております。
これからも知識,経験,技術等、 私の全てを持って一人でも多くの方に喜んで頂ける様に努力いたします。 2015年5月 追加記載

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