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整体本
江奈整体院長の
執筆,掲載本 。
私の整体・カイロ独立開業成功作戦 2008年版―技術を身につけて夢を実現させた体験手記集 (2008)
水槽
当院自慢の150pパノラマ海水魚水槽! 約10種類、50匹以上が優雅に泳いでいます。座位での施術では正面になり、「癒される」と好評を得ています。

プロフィール

 

プロフィール江奈整体代表  真愈整体師
林 哲也 (はやし てつや)
昭和46年2月25日生 A型

 

25歳の時に岐阜市から、瑞浪市へ移転 現在に至る。

 

平成7年 真正流整体術師として活動を始める。

 

平成10年 真正流整体術師範に認定され、更に精進に励む。

 

平成17年 真愈整体の会 
       岡田俊一 主宰に師事

 

平成18年 真正流整体術師会を脱会

 

平成19年 真愈整体の会主宰より 真愈整体の会東日本支部 支部長に任命

 

TMSJAPAN TMSネットワーク整体院, ホリスティック医学協会専門会員(6551)

プロフィールを兼ねて今までの生い立ちを長々と

 

平成元年、高校を卒業して社会人となった私は、その頃から腰痛、頭痛に悩まされ、
時が経てば経つほど痛みの箇所が増え、痛み、痺れ、感覚麻痺の症状は酷くなり、
痛みの総合デパートとなっていきました。 その頃、すでに父は整体師でした。

 

そう、私は二代目整体師なのです。

 

父に整体を受けると、確かに楽にはなっていました。
今思えば自分自身が痛みの製造機だったのを気づかないまま、
目先の痛みをなんとかしてほしい一身で、父や真正会の会長に整体を受け、
それでも足りないと、あっちの病院 こっちの整体院、そこの代替医療と巡りました。
今までにもう、数え切れないほどの治療家に関わってきました。患者として。

 

「何でこんなに次から次へと痛いんだろう?」

なんで?の疑問は、私をかり立てました。
そしていつの間にか整体(人体)に興味が沸き、自分自身の体や、
家族、整体会のメンバー、友人が私の実験台になっていったのです。

 

父は、整体の基本を私に叩き込みました。
手取り足取り教えて頂いた訳ではなく、常に技を盗むという事が多かったと思います。
どうしても分からない事だけの質問は答えてくれましたが、「自分で考えろ」が多かったでしょうか。
しかし親子、 後で気づけば、ちゃんと見ていてくれました、木の上から。

 

整体師として活動は始めたものの、その時はサラリーマンでありながら職人の電気工事業から、電話工事に、更に独立経営にむけて躍進中だったため、昼は現場に出ながらにして経営人、夜や休日は出張整体師でした。
サラリーマンの時は後輩の相談によく乗り、おこがましいのですが、信頼できる先輩だったのですが、
いざ経営に変ると同時に利益、つまり金、金、金に代わり、
人を物扱いし、最低の経営陣になってしまっていたのです。

 

そんな時、私が信頼していた親会社の上司が、
「哲、人は物じゃないぞ、人を使うとか使われるとか言うな!」
その時に「はっ」と気づき大事な事を思い出したのです。
そうです、人と人とは関わっていくのです。

 

それからしばらく月日が流れ、いつしか整体会の会長に 「技を極めろ」っと言われました。
それは二束のわらじを履いていた私の最終警告のようなもので、 どちらかに決めろということでした。
以前は「お前は若いから見た目で判断される、40歳くらいから開業しろ」っと言っていたのに・・・。
正直、迷いに迷いました。このまま整体を離れた方が安定していると思ったからです。

 

しかし、その頃にはあの強烈な痛みは消え、何をしたのかといえば、
父や、会長の脊椎矯正ですべて痛みが取れていたのかと思っていました。
ならば、あれだけ痛みの総合デパートだった私が、どんどん良くなって来ているのだから、辛い人に伝えていこうと思い、 技を極めるため、父(甘え)から離れ、会長直々の指導に変っていきました。

 

通信業界を離れ、整体師一本で、父と二人で同じ整体院で施術を始めてから何回目の壁だったのだろう。
つまり、父との信頼関係はあるものの、私とはない。
出張先ではとても思えない現実、 私は父の手元、おでっちでしか見てくれていなかったのです。
出張先では「先生」と呼ばれ、江奈整体では未熟者。これは辛かった。
その頃に診えていた方は年配ばかり、いや、年配が嫌という訳ではないが、
一ヶ月をかけて同じ方が入れ替わるだけ。 こんな整体をしたかったのではないと思い続け、後悔ばかりしていた。

 

一代目の倍の結果をだしてやっと普通

ここで引いたら自分の負け、辞める事はいつでも出来るなら、やれるとこまでやってやる。
そう歯をくいしばり、無我夢中で一生懸命だった。常に技の向上に明け暮れていた。
それからというもの、父でなくては嫌だという方もいましたが、
信頼も得だし、新しい方も増えていつしか全ての方に「先生」と呼ばれるようになっていきました。

 

会長の一言

不動の地位、今は名誉会長でもある、岐阜県関市の山中英一会長ですが、 口の悪い会長でした、でも、その言葉の裏返しにどれだけの優しさが詰まっていたのかを、どれだけの人が分かっていただろう・・・。

 

「おまはん、たーけか」あなたはバカですかという方言でしたが、
お客さんに、 この言葉をキャッチフレーズにしているぐらいの口の悪い人でした。

 

ある時の会合でいきなり
「あのな、腰の痛いやつはな、包丁もって追いかけてみろ、治ってまうで。
それからな、肩の上がらんやつはな、治安の悪い所に連れて行ってな、
ピストルむけられて「手を上げろ」って言われてみろ、すっと上がるで。」

 

いきなりの発言に、「このおっさん、昼間っから酔っぱらっとるんかいな」っと、怒りをぶつけたことがあります。
後になり、その真髄を知らぬがままに・・・。

 

会長とは、整体に対してお互いに妥協はしませんでした。
整体に関しては常に真摯でありながらも周りの目も気にせず、 激論をしていました。
悔しかったのは、いつも最後は経験の差でまとめられてしまった事です。
整体会では犬猿の仲でしたが、整体を離れると、二人で飲みに行ったり、二人で旅行に行ったり・・・。
もう一人の父のような存在でした。そう、過去形です、この世を去っていきました。
会長の、会長との整体論は、今になり全てつながって来る。実は直接言わなかったものの、分かっていたのである。 会長のエピソードは語りつくせないほどあるが、これは私の宝として取って置こうと思う。

 

先生と呼ばれるようになって

勉強をやめていました。
技術の向上も止め、目先に日々追われ、 先生と呼ばれ、技の過信(テング)になっていたのです。
どんな痛みも、「病気も自分の技で何でも治る。」そう思い込んでいました。
流行る整体師だったのでしょう。そこで満足すれば、それはそれでよかったのかもしれませんが・・・。

 

固定客は作らない

「改善したら、さっさとここから離れて行きなさい」とその頃は言っていました。
しかし現実は違いました。 整体をしても、当たり前のように痛みを出して治せと言わんばかり。

 

それでも、一回で痛みが取れる人、数回で取れる人、痛みが取れない(改善しない)人、
「治らない」と言いながら来る人、同じ事をしているのにこの差はなんだろうと疑問に感じるようになってきました。

 

「そうか、どれだけ脊椎矯正しても、不養生してるんだからその人の生活、性格そのものを根本から変えなくては」

 

それからまた、学びは始まった。 本を手当たりしだい読んだ。
行ける範囲でセミナー、講習などに足を運んだが、
決まってオチは講師の自慢大会か、金儲けのしかただった。もう、うんざりしていた。
スパイのようにあっちこっちと足を運んでも、やっぱり技になってしまう。

 

ホリスティック医学協会に出逢い

はっきり覚えていないが、確か新聞か広告なのか、生活習慣病予防士、指導士という資格があり
後日、希望していた案内が届き、目を通すと、まさに「これだ!」と思い予防士の資格取得のため勉強を始めました。 テキストはしたかったことそのままだった、
そしてホリ協のコンセプトは私の考えとリンクする部分も多かったし、 教わる事が多く、まさに新鮮そのものでした。 無事、予防士の資格を取得し、更に指導士を目指し課題試験も通過して、
指導士のためのスクーリングのため大阪に行った。

 

全てはここから始まる

いざ大阪にスクーリングという時に、かかった事のないインフルエンザになってしまったのです。
なんというタイミングの悪さ、それでも、行かなくては今までの事が水の泡になってしまう。
そう思い、ふらふらのまま大阪に向かったのです。

 

衝撃の出逢い

なんとか大阪に行き、会場に着いた時、入り口に立っていたのが岡田俊一先生でした。
先生のスクーリングが始まってから、進めば進むほど、何か今までに感じたことのない、
インフルエンザなど吹っ飛んでいくようなまさに激震。こみ上げて来る何か。
今まで出会った事のない人物でありました。

 

自分の治療の自慢を一切しない、人の話を聞き、
整体のスタイルは技は違えど似ていて、私の未来像のような人でした。

 

岐阜に帰り、インフルエンザも治って、いざ岡田先生にメールを送ります。
ふられました、最初。
でも、先生のホームページを隅から隅まで読めば読むほど、メールを送り続けていたのです。
いわば、遠距離ストーカーです。

 

それからというもの、私が送った質問メールに毎回、
先生は直接な師匠ではないのにも関わらず丁寧なアドバイスをくれたのです。
そして、何回か個人的に直接お会いし、ありがたい指導をしていただいたのです。

 

岡田先生は野口晴哉氏を天才と言った、私は岡田氏を天才であり努力家で、整体の神様だと思う。

 

TMS ジャパンを紹介され

先生に「読んでみて」と紹介されたのが腰痛は終わるという本でした。
これは脊椎矯正をベースにしている私には受け入れられない、まさに根底を覆させられる出会いになったのです。 二人の自分に葛藤しました。しかし認めざるを得ないことが多々あるのです。
そう、痛みの総合デパートだった頃の私に思い当たる節があったからです。
「動作恐怖症」巡り巡っていた頃の私は、
医師、治療家に呪文(ヌーシーボ)をかけられ、完全に行動規制をかけられ、 やりたいことも出来ない、
アドバイスを忠実に守っていたがゆえにがんじがらめになっていたからです。

 

整骨師から整体師へ

 

確かに、駆け出しとか、未熟者とか言えない立場になりましたが、謙虚な姿勢は忘れません。
痛みを知っている、常に身近な整体師であり続けていきたいと思いますが、もう過信はしません。
学びました、これからも学び続けます。
整体師として、いや、人として大事なことに気づきました。

 

人の生活、性格を変えようと始めた勉強が、いつしか自分が変り、なにもしていないのに周りが変っていく。
人は変えられません、自分が変らなければ、そして、
自分を取り巻く一切が自分の鏡だということに気づいたのです。

 

真愈整体の会東日本支部 支部長を任命され

真正流整体術師会は、過剰営利から離れていました。
だから簡単に入会できない会になりましたが、 技の過信の部分では、会合のたびに技量不足な私を追い込みます。 技の過信、営利から一番遠い会・・・。
その時、岡田先生から新しく会を作るからと言われ、そのコンセプトは願ったり叶ったりでした

 

にもかかわらず

現役の整体師でありながらにして、
2006年、真愈整体学院一期生として、 岡田俊一先生を直接の指導者として弟子入りを許可して頂きました。
つまり生徒です。 何故か・・・。
分かりやすく、直接の指導や、メッセージはありますが、
岡田先生が何気なく言った言葉や、何気ない文章に分かったつもりで、
後になり「この事か!」っと身震いすることが多々あります。
直接学べば、私はひとまわりも、いや、それ以上になる事を確信したからです。
しかし先生はこう言ってくれます。

 

「師匠とか弟子とかではなく、仲間だと思っています。」

 

感極まるほどの嬉しい思いと同時に、重みを感じています。先生の仲間ということは・・・。 前に進むのみ、今までの人生に後悔なし。 今までの経験なくして今の私はないと確信しております。 私は整体に情熱を持ち続けたい。

 

2006年(平成18年)作成

ご予約は TEL.0572−67−3381